画墨において、「墨色を焦・濃・重・淡・清の五種の色合いに分ける」ことは、前号で記した。何より大切なのは用いる墨の品質の良し悪しを見ることであるが、それにはキチンと調整された硯の硯面が不可欠である。これまで、良い墨や硯の定義は中国の先人から日本の先人へと伝わり、今もそれらの価値観に縛られている。
墨は半永久的に不変のものではなく、経年とともに変化し消えていくものである。硯は石だから劣化せず永遠のものであると考えるのは間違いで、経年劣化(風化)しいつかは土に還る物である。墨や硯に手入れを施し寿命を延ばすことは誰にでもできる。今号では、私独自の「硯の調整」をお伝えする。私独自と言わざるを得ないのは、硯の調整についてのキチンとした文献が無いからである。YouTubeやネット検索からある程度の情報は得られるものの、作家として満足の行く調整方法や改硯方法について製硯家側も詳細にはしてない。
唐硯とよばれる中国の硯と、和硯とよばれる日本の硯の仕上げ方法には違いが見られる。唐硯は墨がけや蝋がけをして仕上げられる。中国の資料では、墨液で古色を付け炭火で焼き付け、その上に蝋を塗り仕上げているものが多い。
和硯は墨がけや漆がけをして仕上げられる。地方硯によっては漆の代わりにアスファルトやカシュー漆仕上げなどさまざまである。先にも書いたが、石は劣化(風化)するため、保護膜として蝋や漆などの塗膜を施すことで美観や装飾性だけではなく、実用に堪えるよう作られている。
文房四宝の書籍などに紹介される古硯や銘硯は、投機的な不動産のようなものであり筆者などが制作に使えるものではなく、それらの評価や解説には実感が伴わない。固形墨から液体墨へと急速に変化したのは、義務教育で習字に時間をかけることができない社会となり、展覧会などの作品が大型化し墨を手で磨るのでは間に合わなくなった。さらに、天然資源の枯渇など「絶滅危惧の素材と道具」となってしまったことである。
それでは、筆者のような制作者は固形墨ではなく液体墨という選択肢が最善であればそれに越したことはない。しかし固形墨の魅力は液体墨が及ぶところではない。
筆者はこれまで、百面以上の硯を蒐集し使用してきた。唐硯が主で次いで和硯、韓国硯が少数である。唐硯が多いわけは、松煙墨の古墨を多用するため硯面や鋒鋩の強い歙州硯が必要となる。和硯のなかで1914(大正三)年に製硯された山口県の赤間硯は、端渓硯に匹敵する磨墨で油煙墨に適し愛用している。
筆者の蒐集した硯の多くは古硯で、私の手元にくるまで多くの人々に愛され使われてきた硯たちである。中には清代の良硯も含まれる。
硯との出会いは古都・奈良市にある笹川文林堂で、高校時代の恩師の紹介が縁である。恩師から、笹川文林堂で入手したという歙州硯の大きな板硯を見せられ、衝撃を受けすぐに奈良まで出向いたときからである。店主の笹川雅義さんの良心的な対応は無知な筆者を豊かな墨の世界へと誘ってくれた。
次に大分市にある西本皆文堂社長・西本昭一郎さんとの出会いだ。西本さんは中国の硯石鉱山に出向き石を選び、製硯師、硯箱職人にいたるまで自ら赴き、日本に良硯を伝えてきた。筆墨硯紙の基礎をこのお二人から学べたことが今につながっている。
文房四宝と呼ばれる筆墨硯紙は、自身の制作コンセプトや必然性がしっかりしていないと、先人の言いなりになってしまう極めて危険な世界である。2012年習近平が中国最高指導者となり、習字を義務教育化したのをきっかけに、文房四宝の需要が盛んになり日本への供給が不安定となった。2013年以降、日本に渡った古墨や古硯は凄まじい勢いで中国に買い戻され、わずか九年で価格が10倍近くなったものが多い。しかし、日本中には相当量の良硯が眠っているはずである。身近な古書店やリサイクルショップで時おりワクワクする硯と出会うことがある。
作家が墨質を確かめる方法として、墨や紙の種類、水質などが挙げられるが、一番重要なのは硯質である。一般には専門店や蒐集家といった専門家の解説を頼りに高価な墨を求めることになる。さらに硯も然り。硯に至っては、実用硯と観賞用硯の世界が入り混じり不透明極まりない。表現者は、これまで語られてきた物語よりも、今の時代の今の表現を求めているのである。それを可能にするためには、硯の調整を作家自らが納得の行くようにすればよいだけのことである。製墨に関しては、多くの書物で語られてきたが、製硯に関しての詳細な資料は皆無に近い。
一般的に摩滅した鋒鋩を復活させる目立て方法として、目立て砥石と呼ばれる柔らかい泥砥石をかける。最近の動画配信などでもよく目にする。泥砥石をかけた後、硯面の色が白く荒れ風情がなくなり、馴染むまでにしばらく時間がかかり不快な思いをした経験者は多いはず。では、どのような道具でどのような方法を使えば自身が目指す硯面に仕立てることができるのか。
まず新品の硯を購入し、使い始めるとき硯水を墨堂(丘)に注したとき、コロコロと弾かれ硯に馴染まないことがある。これは、硯の表面に蝋などが塗られているためである。特に中国製の硯には強く塗られていることが多い。杉炭で磨って除蝋すると良いなどと書かれているが、そもそも杉炭など入手できないものである。購入時に、店頭で除蝋に応じてくれる店は皆無である。高級な硯や古硯の硯面に水を弾くほどの蝋が塗られていることは少ない。硯面の除蝋には油彩画用テレピンがお薦めである。書家や日本画家たちからは、批判の声が聞こえそうである。筆者はジャンルでは西洋画家であるため蝋を溶解するにはテレピンを使用する(日本製のテレピンにはαピネンが95〜98%含まれそれらは100%揮発するため硯面に残留することはない)。テレピンを布に含ませ硯面に円を描くように摺り込むと、蝋が溶解され除蝋できる。
簡単な目立て法
鋒鋩の目立て法として最も簡単な方法は、台所用クレンザーや耐水ペーパーがけがある。台所用クリームクレンザー「ジフ」には、研磨剤としてモース硬度3のカルサイト(方解石)が使用されている。ジフで硯面を研ぎ出すことで端渓硯がモース硬度3.5、歙州硯が4.0であるから鋒鋩の石英は傷つけず、その周りの鉄鉱石や黒雲母などが剥がれ落ち、鋒鋩の石英(硬度7)や正長石(硬度6)が残ることになる。ジフを硯面に適量たらし、円を描くように綿布または「激落ちくん」で摺り込み、洗い流せばある程度目立ができる。さらに今は生産終了となり、在庫分がネット販売のみとなった発泡性の「スーパーホーミングクレンザー」は古硯などに威力を発揮する。硯を十分に水に浸し、濡れた硯面にスーパーホーミングクレンザーを撒き20分間放置し、激落ちくんとよばれるメラミンフォームで丁寧に摺り込むと目立ができる。こびり付いた宿墨などもきれいに落ちる。
目立て砥石(天然砥石)
鋒鋩はサメの歯のように、次々と奥に山脈をなしていて、表面が摩滅したところで目立てを適切にすれば次の鋒鋩が立ち上がる。
一般的に市販されている目立て砥石は「泥砥石」とよばれる粗いものである。鋒鋩に詰まった膠分や死墨(宿墨)としてこびり付いたカスを取り除くことはできるが、硯面が荒れ、深い筋状のキズができてしまい墨を磨り込んでもしばらく落ち着かず、溌墨に期待できない事が多い。
目立て砥石は硯の丘(墨堂ともいう)の部分にかける。筆者は硯用泥砥石をあまり使用しない。泥砥石には粗目から細目まであるが販売されている泥砥石はせいぜい2種ほどで、泥砥石をかけた後の調整に時間がかかってしまうことが多い。全体を平らに削るだけであれば、粒度の選択が便利な紙やすり(耐水ペーパー)があるが、研削力が強く鋒鋩まで削ってしまい、しばらく使用すると硯面が光り磨墨力が落ちてしまう。
【保護用蜜蝋ワックスを作る】
硯に蝋を塗布するのは硯に潤いを与え、風化を防ぐ効果があるためである。さらに、石質の色が際立ち気持ちよく摩墨ができるのが嬉しい。筆者独自の処方箋なので読者は季節ごとに蝋の配合バランスや濃度を改善し、硯の状態に合わせ使用することをお願いしたい。硯面の蝋が気になる場合は、テレピンで拭き取れば簡単に除蝋ができる。
[蜜蝋ワックス100gの処方箋]
材料
①晒蜜蝋10g
②パラフィン・ステアリン混合10g
③油彩画用テレピン80g
④密閉瓶
密閉瓶に①②③を入れ、湯煎にかけ溶解する。70℃で完全溶解する。
※パラフィン・ステアリン混合はキャンドル材料として市販されている。
青木 芳昭
1953年茨城県生まれ。1976年〜77年:パリ留学、アカデミー・グラン・ショミエールに学ぶ。ル・サロン展に『パリの屋根』『街角』を出品し、名誉賞受賞。1977年:中央美術研究所を開設(2011年退職)。1983年〜84年:パリ留学、アカデミー・ジュリアンに学ぶ。1985年:安井賞展出品(以後1989年、1990年出品)。1996年:銀座・資生堂ギャラリー個展。1999年:アカデミア・プラトニカを設立し、代表に就任。2007年:京都造形芸術大学(現 京都芸術大学)客員教授に就任(2011年より専任教授)、月刊誌「美術の窓」で[実践!絵画素材の科学]を連載(〜2009年)。2011年:「よくわかる今の絵画材料」(生活の友社)出版。京都技法材料研究会設立(画材メーカー11社参加)、会長に就任。2015年:新発見・長谷川等伯筆2点の発見から修理に関わる。 現在、アカデミア・プラトニカ代表、京都技法材料研究会会長、京都芸術大学大学院教授。