コラムcolumn

2023.4.27中国遊学日記④弟が来る・下

2007年ごろに県書道にて掲載していた留学体験記の再掲となります。

 

 豫園で一通りの観光を済ませ、静安寺へ向かう。弟にはXO醤など中国ならではの調味料をお土産に薦めた。彼は三輪バイクの件から兄の言う事を素直に聞くようになり、薦めたものは全部買っていた。

 静安寺には久光という大きなデパートがあり、食品売り場もバラエティー豊富で日本食をはじめとした色々な国の食品がそろっている。少し値は張るものの、安全性などを考慮するとここが一番だ。僕含め外国人にとってのオアシスみたいな場所である。

 夕食も一緒に食べようと火鍋に誘った。火鍋を愛する兄の力説により、彼の期待は限界まで膨れ上がっていたらしい。が、期待と現実にギャップがありすぎてあまりお気に召さなかったようである。火鍋のよさを伝える情熱が大きすぎたようだ。  

 この時にはもう父や妹は日本に帰った後で、僕ら兄弟は火鍋の話より話題がそちらに集中していた。彼は思い出したかのように三輪バイクの話を切り出していたが、大好物を目の前にした僕には、もうどうでもよい話だった。

 デザートも食べようということになり、彼に好きなものを注文するようメニューを渡した。弟は既に一人で注文も支払いも出来ていたので安心して任せることができる、はずだったのだが。テーブルに届いたものはシュークリームみたいな見た目をしていた。しかし手に取る前から異臭がする!まちがいなく臭い。二度三度いや四度嗅いでも臭い。ドリアンの匂いだ。

弟「あれー?カスタードパイって書いてたんだけどなー。」

兄「そうかもしれないけど、臭いぞこれ。」

弟「おかしいな・・・」

兄「ちょっとメニュー見てみろ。」

弟「あっ英語でドリアンって書いてある!」

兄「だろうな。」

 ちゃんとドリアンカスタードと書いてあった。カスタードに目を釘付けられて、ドリアンの表記は目に入らなかったらしい。ちなみにドリアンは中国語で書くと「榴蓮果」、どこにも「臭」という文字は無い。だからと言って臭くないなんてことは無く、ものは試しだと食べてみたものの口に広がる生ゴミは耐え難いものだった。ドリアン自体スーパーに並んでいればすぐ分かるほど臭いのに(中国のスーパーではドリアンが丸々売られているため別段珍しい果物でもない。中には皮を剥かれパックされたものまであるので、珍しい王様というより裸の王様である)、加工して更に凝縮されたソレは今までの食事を台無しにする破壊力があった。

兄「だめだ、息をするたびに臭い。」

弟「いやー気づかなかったな、ドリアン。」

 自分が見落としたのではなく、メニューに最初から書いてあったか否かを疑いだしている。

兄「ビールと混ざって余計に臭くなっていく気がする。」

 胃の中は殺傷能力満点のガス室である。帰りは口直しで買ったソフトクリームを食べつつ地下鉄に乗った。男二人が並んで座りソフトクリームをペロペロ・・・気色の悪い光景である。

 

 帰国まで残り一週間となり、ようやく慣れてきた弟は僕が紹介した焼き鳥屋に留学仲間を連れて行っていた。彼らは実に三週間ぶりとなる日本食に大変喜んでいたそうだ。

 そして留学最終日、何が食べたいか聞いたら「ラーメン」と即答が返ってきた。もう我慢の限界だったのだろう。どうせなら中華でもよいと思っていたのだが、小龍包、火鍋、タイ料理、その他一通りの中華と食べつくしていたので、残るラーメンで〆というのも悪くない。日本人向けのフリーペーパーに載っていた、僕も知らないラーメン店へ行く事にした。最終日に無茶な冒険となってしまったが、この冒険をしなければ美味い店が見つからないのは純然たる事実である。結論から言うと、とてもおいしいつけ麺だった。これでまた僕のレパートリーが新たに一つ増え、冒険は大満足の結果で終了した。

兄「上海で何が一番おいしかった?」

弟「う~ん、小龍包かなー」

 詳細は省くが、彼は留学中に三度小龍包を食べている。一回目は僕と、二回目は父が来た時に豫園で、三回目はまた僕と。日記につけなかったのは食べに行った時に何を話したのか全く憶えていないからだ。というより、彼は無心で食べていて会話がほとんどなかったように思う。真剣に小龍包と向き合っていたのだ。

兄「そうだよな、三回も食べに行ってるもんな。」

弟「あれは忘れがたいな。でも豫園のお店より、お兄ちゃんと行った所の方がうまかったなー」

 嗚呼弟よ、そうであろう。でも兄に気を使っているのかい?

兄「火鍋は?」

弟「あれは・・・そんなにおいしくなかった。」

 嗚呼弟よ、気を使うなら今だ!

 

 何はともあれ、彼は無事留学を終えようとしている。日本への帰りは一緒に来た戦友と共に宿舎から飛行場へ向かうらしく、兄は不要とのことだ。

 駅まで弟を送って行く。彼には上海以上に行きたい国があるらしく、その熱意は本物である。別れ際に語るその目は輝いていた。かなり良いように言うと「大脱走」のスティーブ・マックィーンが牢屋に逆戻りにされたラストシーンで見せた面構えといった所だろうか。彼にとってどこが牢獄なのかは分からないが、とにかく言いたいのは彼が大変野心に溢れる顔をしていたということだ。その国に兄はいないが十分に生きてくれと願う。 

 

 彼が中国に対し最初に吐き出した感想は「臭い」であるが、各国の匂いまたは大気はその国自体であり、訪れた人が感じるその国への印象に直結する。そしてこの空気を吸うことが旅行や留学などの本質的なものに感じる。その国の大気を肌に感じることが旅であり、それを学ぶ事が留学である。加えて、そこの空気をもう一度吸いたくなるという感情はその国に魅了されている証拠で、その中で違和感なく暮らせるのならばその国に馴染んでいるという事になるのではないだろうか。彼が体験した上海での思い出はいつか薄れていくかもしれないが、鼻腔に残る上海の空気だけは薄れることなく中国の印象として在り続けるのだろう。

 兄は日本で食べる豚骨ラーメンの匂いをただただ懐かしく思う毎日である。再見。

 text= 西本皆文堂
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