コラムcolumn

2023.4.07中国遊学日記③上海 博印堂にて

2007年ごろに県書道にて掲載していた留学体験記の再掲となります。

 

 僕が中国での留学生活を終え、修行生活に入ってもうすぐ一年になる。

 お世話になっているお店は、十年続く「博印堂」という上海の福州路の文化街に並ぶ文房四宝店だ。ここの老板(ラオバン)、日本で言う社長は趙正範さんという人で、父とは同業者兼飲み仲間として長年の付き合いになる。威圧した時の顔が中国のアル・パチーノみたいな人だ。快く僕に修行の場を提供してくださった方でもある。

 今回はここ博印堂で僕が思ったこと、感じた事を記したいと思う。

 

1.修行状況

 修行時間は9時から5時半までで、週6日制で金曜日に休みをもらっている。なぜ金曜日かと言うと、博印堂はほぼ年中無休で日曜日も開いているが、日曜日は肝心の老板がお休みなので日本のお客様が来たときに僕もいなかったら対応できない。だから日曜日に出勤する代わりとして金曜日にお休みをもらっているわけだ。

 時間帯と休みがあるのを見て、「修行って程でもないな」と思った方は是非異国(中国)で働いてみて、その大変さを実感していただきたいと思う。まあ確かに慣れれば修行って程でもないのですが・・・。

 僕以外にも従業員の方がいて、多い日で僕を入れて5人、少ない日は4人でお店を回している。店舗は一階と二階とあるのだが、老板以外はほとんど一階で店番をしている。雨の降るお客様が少ない日は、お客様より従業員の方が多いので少し息苦しさを感じるが、みなさん優しく色々と教えてくれる善い方達だ。

 お店の一階は筆、紙、印材、硯、水差し、墨や他にも外国人(主に欧米)向けのものが並んでおり、二階は墨、硯、印材等の一階よりも高価な物が並んでいる、僕が始めたばかりの頃は二階にはあまり商品がなかったのだが、今やどこぞの骨董屋みたいな様相を呈している。古い甲冑や日本刀がないことがせめてもの救いかもしれない。

 また二階には大きな机があって、顔なじみの人がくるとそこでお茶を楽しんでいる。これが今お世話になっているお店の概要だ。

 

2.接客

 僕は一年経ってやっと慣れてきたが、長い間働いているとあるおばちゃんは、そのキャリアの差を僕に見せ付けてくれる。良いように言えば商売魂、悪く言えば商売魂の塊、とでも言えばいいのか、少し呆気にとられてしまう事もある。

 お客様は中国人ばかりでなく、日本人や欧米人も訪れる(特にフランス人、ドイツ人が多い)のだが中国人以外のお客様が来た時のおばちゃんは怖い物なしだ。「ディス グッド、グッド」「チープ チープ(日本語に訳すと「安いよー安いよー」だろう)」「イェー!グッド センクー(サンキュー)」のみで商売をする。

 最近はほんの少し知識を付けた僕が対応するようになったが、それでも僕より先にお客に駆け寄り接客をする。バイタリティーがずば抜けている中国の接客法だ。中国に旅行された方はわかるだろうが、中国の土産屋でよく見る光景とほぼ同じだ。お店のために働いているのは痛いほど分かるが、日本人の僕から見ると押し売りに近いので正直怖い。が、お客様が満足してくれているのであれば、問題はむしろ僕の方にあるだろう。中国では僕の接客は商売にならないということだ。どうしたら良いのか分からないと頭を抱えるのも修行の一部だろう。

 ともあれ、僕は日本の方が来た時は日本語と中国語、欧米の方が来た時は英語と中国語を駆使してお客様と従業員の間を揺れている。通訳をしていて一番辛いのは値段交渉の時だ。商品にはそれぞれ値札がついているが、割り引いて買い物するのが当たり前の文化に触発されたのか、はたまた中国で騙されたらいけないと思っているのか、ほとんどの人が値札についている値段では買おうとしない。お客様は安く買いたい、従業員は値札の値段で売れれば良いと、喰い違いがあるため値段交渉の時に少し荒れる。もちろん博印堂は良心的な値段であるのだが、日本と違い中国と言うだけで少し信頼性に欠けるのだろう。

 だから、勝気なお客様が来ると安くしろ安くしろとうるさい。欧米人の交渉よりも日本の方のほうが、僕が日本語を分かるだけに気まずいのだ。そこまで無理を言うお客様は中々いないのだが、全くいないという事もないので、値段交渉が近づくと内心どきどきしている。

 例えば、

僕「全部で○○元になります」

客「ここって割り引いてくれないの?」

僕「割引はしてないんですよね」

客「せっかく上海まで来たのに・・・」

 そうかはるばる上海に買いに来てくれたのか・・・?

 僕は他の従業員と顔を合わせ、「お客様が安くしろって言っているんですが、出来ますか?」と問う。

従業員「1割、1割(一割引のこと)」

客「えー一割?まだ高いよ」

僕「日本でこの値段は破格ですよー」

客「日本だといくら?今レートいくらなの?」

僕(今日のレートなど知りません!この値段のどこが不満なの?)

客「ん?」

僕「えーどうでしょう。全部で四千円くらいですかね?」

客「じゃーもう一本筆を買うから、安くして」

僕、従業員「・・・好的。(日本語でわかりました。)」

 勝気なお客とは大体このようなやり取りをする。これが悪いとはいわないが、僕がいなかったらこのやり取りが出来たのか?と思う。

 デパートやスーパー、コンビニ以外の個人経営をしているほとんどの店はこのやり取りを毎回のようにやるのかと思うと正直疲れる。早く定価を決めて、値札に絶対服従するシステムになって欲しいものだ・・・しかしこれはもちろん従業員からの目線で、消費者の目線からは僕でもまだまだ中国の値札をそのまま受け入れる気持ちになれないのは確かだ。

 文房四宝の中でも、特に硯や墨は値段の付け方が難しい所がある。好きな人はいくら出してでも手に入れたがる物でも、それほど興味がない人にとってそれはただの石であり、ただの黒い墨でしかない。値段を付けるのはどちらと言えば前者であるため値段も高くなる。値段の理由はマニアの世界に少し入り込んでいる所があるからで、後者と値段が合致しないのは当たり前なのだ。

 しかしこういう世界を僕は好ましく思っている。良いものは好い、だからそれなりの値段もする。量産型でいくらでも手に入るものはニーズに合わせた値段を付ける。前述した「やり取りが疲れる」といったのは限られたものに対してではなく、量産しているもののやり取りでの話しだ。そして、限られたものを見極める知識も養わないといけないのが僕の修行だろう。

 これが日本の方や欧米の方が来た時に僕が求められる役割だ。おばちゃんも日によって変わるので、そのたびに交渉の仕方も変えないといけないが・・・これは細かすぎるので記す事を避けたいと思う。

 

3.昼食

 僕は、毎日のように蘇州麺館で昼食をとる。そこは百年の歴史がある店らしく(定かではない)、値段も安く実においしい。父も上海を訪れた時は必ず食べに行っている。定食もあるのだが、メインはラーメンだ。ラーメンといっても日本のようにトンコツ、しょうゆ、みそなどで分かれているのではなく、具で分けられていてチンジャオロースー麺や牛肉麺といった具合だ。

 そこで毎日のように食べに行っている為、店に入ると「今日は何ラーメン?」と従業員のおばちゃんに聞かれてしまう。僕はラーメンならば毎日でも食べたいのだが、この質問を回避するために時々定食も食べる。誰に気を使っているのか分からないが・・・定食といっても、具は変わらず麺がご飯に代わっただけでしかない。

 時々だが老板のお客さんとご飯を一緒にさせてもらうときがある。この時が最大の修行場で、社交性に欠ける僕としてはどうも緊張してしまう。そうしていると「もっとしゃべらないとーもっと明るくしないと。」と老板にいわれる。僕は、お酒が入るとしゃべらなくてもよい話をするらしいのだが。だからといって昼から酒を飲むわけにもいかないので、上がり症を治すのは中々に難しい。しかし、今はその修行の場も楽しめるようにはなってきたと思う。

 

 といった具合に今回はお世話になっている博印堂でのひとこまを記した。最初は、はっきり言って自分の立つべきポジションが全く分からなかったが、今はなんとなく理解できるようになったし、それを楽しめるようにもなってきた。上に綴った修行も、当事者が修行と思わなければ修行ではなくなるのだ。これ以外にも楽しい事や、辛い事もあるがここには書ききれない。一年後にもう一度思い直し、また新たに思ったことも報告したいと思う。

 上海にお越しの際は、金曜日以外に博印堂にいらしてください。もちろん、値段交渉も手伝います。出来る限りですが!

 

 text= 西本皆文堂
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