2007年ごろに県書道にて掲載していた留学体験記の再掲となります。
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僕には八歳離れた弟がいる。僕が小学生の頃に一日も欠かさず神に願いを繰り返した結果、僕の純粋な気持ちが無事届きこの世に生を受けた弟である。そんな彼が一ヶ月という短い期間ではあるが上海へ語学留学に来る事になった。兄として、そして中国留学の先輩として一ヶ月は短すぎると文句をたれつつ、彼が来る何日も前からまるで恋人が来るかのような気持ちで待っていた。一緒にご飯を食べよう、休みの日はどこへ出かけようか、あっ!携帯電話を買ってやらなければな・・・本当に恋心みたいだ。
電話が鳴る。
弟「もしもし。」疲れ、期待それと少しの不安が混雑した声であった。
兄「よく電話かけることができたね。」
弟「宿舎のフロントにかけ方を聞いた。」
どうやら英語とジェスチャーを織り交ぜながら公衆電話のかけ方を係の人に聞いたらしい。彼は大学で第三外国語として中国語を履修中ではあるが、まだほとんど中国語を喋れないため中々大変だったようだ。
みなさんは電話ぐらいと思うかもしれないが、日本とは違い中国の公衆電話を使うには少し手間がかかるのである。ただ硬貨を入れるだけや、テレフォンカードを差し込むだけというものではない。まず専用のカードを買い、そのカード会社に電話をかけ、アナウンスに従いカードに載っている番号やら暗証番号を打ち込む。これでやっと相手の電話番号にかけられるという、かなり面倒くさい手順を踏む必要がある。旅行に来ただけならよっぽどの事がない限り公衆電話を使う機会は訪れない。だが留学生としてやって来た彼の場合、僕という先達に連絡が取れるか否かでは今後の安心感が全然違ってくるだろう。面倒な公衆電話に頼るのも頷ける。僕も留学初期は知り合いがいるという心強さに安心したものだ。
兄「そうかそうか、どう?初上陸の中国は?」
弟「・・・中国ってちょっと臭いね。」彼は笑いながら答えた。純粋で良い感想だ。
兄「慣れるまですぐだよ。」
残念ながらもっと臭いと感じる所の方が多いぞ!と心の中で忠告。実際慣れると本当に気にしなくなるものなのだ。もしかすると本当は臭いのではなく、慣れない異国の地に対する違和感がそう思わせるのではないだろうか。きっとその程度のものなんだと僕は思う。
弟「明日は一緒に来た人たちと買い物にいって、明後日から授業なんだよ。」
聞いてもないのにスケジュールを兄に報告。そうか、初めての留学で彼も心細いのだな!
兄「じゃあ明後日に晩御飯を一緒に食べよう。夕方に電話してくれる?」
弟「わかった。それじゃあまた。」
兄「おう。再見!」
弟「ざい、ざいじぇん・・・」
こうして弟は無事に上海留学をスタートさせた。兄としても一安心である。
約束の日になり、彼から電話がかかってきた。その日も弟は他の留学に挑戦している人達と共に観光をしてきたらしく、彼らと別れた後もそこに残り一人観光を続けているという。兄とは違い活発的な留学生活である。彼が観光中の南京東路は僕の修行場所にも近かったため、そこで集合することにした。
南京東路はツアーに参加した観光客なら誰でも案内されるようなメインストリートで、常に人がごった返している人気の観光スポットでもある。日本でもお馴染みのファーストフード店の前で落ち合うという約束を三回繰り返し電話を切った。連絡をとるにもいちいち公衆電話を探さないといけないことを不憫に感じてしまう。集合場所に間違いがないよう念を押したのだが、その後も二回連絡をとりあい僕らはやっと再会した。
弟はリュックサックを前で担ぎ、中国語辞典を開きそれを読みながら僕を待っていた。非常に柔軟性に優れた格好だ。リュックサックを前で担ぐ態勢は盗難防止かつ「俺は中国生活に慣れているんだぜ!」というアピールにもなる。隙がないように映るのだ。中国ではその土地の治安に順応していく必要がある。若い人はその順応が早いのだなと感じた。ただ、中国語辞典を街中で読んでいるため、彼が中国に来たばかりの留学生であることが露骨に分かってしまう。嗚呼弟よ、もうちょっとだったのに・・・
少し話がそれるが、僕はこのような観光地では日本人だとバレないよう気を付けている。「友達!友達!時計、鞄、安い、偽物~!」と繰り返し迫ってくる押し売りが面倒でしょうがないからだ。僕の上海での社長、趙さんは「奴らに声を掛けられなくなったら留学は成功よー。」と言っていた。中国の生活に馴染み、深く文化を理解していれば、おのずと外国人のようには見えなくなるということだろう。しかし奴らが趙さんにも同じような態度で迫っていたことを僕は知っている。
奴らから逃げる方法として一般的なものは無視することである。だが無視してもなお迫ってくる輩がいる。そういう手合いには、僕は「アニョハセヨー、アニョハセヨー」と韓国語で挨拶を浴びせることにしている。そうすると奴らは少し怯む、どんな心理が働いているか分からないが少しびっくりした顔をするのである。その隙に逃げ出すのだ。たまに「アニョハセヨー」と丁寧に返してくる奴もいるが、まあそういう存在は稀である。
久しぶりに話す弟は、大学生にもなり少し垢抜けた印象を受けた。
兄「やぁー、ひさしぶり。」
弟「おひさしぶり。」
兄「早速だけど何食べたい?」
弟「ん~やっぱり最初は中華?」
兄「よし、臭くない綺麗な所に連れて行ってやる。」
久々の兄弟の再会などあっさりしたものである。初めて上海へ来た際に趙さんからしてもらった事に習い、最初は甘い蜜を吸わせてやろうと僕がよく行く綺麗な中華料理屋に彼を連れて行った。そこは写真付きのメニューがあるので彼はそれを見ながら、そして僕は自分のお気に入りを注文した。彼はまだ上海でうまいものを食べていなかったらしく、注文したほとんどに「うまい、うまい。」と言ってむしゃぶりついていた。聞けば学食と宿舎の側にあるラーメン館にしかまだ行っていないという。まだ来て三日目なのだからしょうがない、兄もそうだった気がする。知らぬ土地というのは慣れるまでに時間がかかるものだ。今日は思う存分食べなさいと優しく見守る兄であった。
半年以上会っていなかったので、大学の話や留学の話、注意しておく事、これから行きたい所、食べたいもの、そして何日か後に上海へ来る父と我らのアイドルである妹の話などをして盛り上がった。
一通り話しよい時間になったため、彼を宿舎の最寄りまで乗り換えなしで着く駅(僕の家の近くでもある)へ送り、ついでに駅の近くにある電気屋で携帯電話を購入した。連絡先を交換し、ついでに僕の家の最寄り駅も紹介する。これでライフラインは太くなったなと安心して彼を見送った。過保護になりたくはないが、八歳も離れている弟というのはどうしても心配してしまうものなのだ。
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弟が来る・中に続く