コラムcolumn

2023.4.19中国遊学日記④弟が来る・中

2007年ごろに県書道にて掲載していた留学体験記の再掲となります。

 

 この日から何日か後、これまた趙さんの教えである「一週間に最低一度は母国の料理を食べないと留学は続かない」に倣い弟を日本食に誘った。

兄「你好!二週間ぐらい経つけどそろそろ日本食が恋しいのではない?今日の晩御飯は日本式の料理屋でどうかな?」

弟「いいねー!それはもう是非に!」

兄「じゃあこの前の駅の一駅先に集合でいい?」

弟「いいよ。」

 

 どうやら連絡を取っていない数日の間も色々と出歩いていたらしく、多少の度胸を身に着けた彼は既に集合場所で僕を待っていた。地図や路線図をこねくり回しつつ、約束していた時間の二十分前にやって来たらしい。まだ所要時間がどのくらいなのか分かっていないのが初々しい。

 僕行きつけの焼き鳥屋に着く。ここが中国であることを忘れさせるかのような日本の居酒屋そのものの店構えである。

 まずはビールを二つ。弟は成人済の大学生なので何も問題はない。この店は壁中にお品書きが貼られており、使われている言語は日本語である。店員さんは中国人だが、少したどたどしい日本語で応対してくれる。周りにはサラリーマンがうじゃうじゃ、ほとんどが日本人だ。ここは予約なしで行くと一時間ぐらい待たされることもある。予約必須の人気店なのである。

弟「何ここ・・・日本の居酒屋だな。」

兄「びっくりでしょ?上海にはこういう所もあるんだよ。魅力的だろ?ある程度のお金はいるけど、不自由をあまり感じない都市なんだよ。」

 中国の中でも上海は本当に特別な都市なのだ。前にも記したが、珍しいことに上海では美味いものにたくさん出会える。ただし美味いもの探しを楽しむには行動力が必要であるし、行動力以上に先立つものがなければいけない。逆に言えばお金さえあれば何とでもなる。だから「不自由のない都市」ではなく「不自由を感じない都市」なのである。

弟「いやー上海はすごいなぁ!」

 一応、今体験している店は兄の選りすぐりなのだ。衝撃がなくてはこっちが困るのだよ、君!どうやらお気に召したようだ。

 話題は弟の寮生活に変わる。僕の北京留学とは違い、彼の部屋は先輩と二人で一つの部屋を共有する相部屋らしい。

弟「せめて日本人じゃなかったら、まだ気が楽だよ。」と彼は嘆く。

兄「だけど、ほとんどの留学生は相部屋だよ。もっと言えば、中国人の苦学生は一つの部屋に四人から六人で生活しているんだよ。我慢するしかないね」と彼を慰めるが、中国の留学生活において相部屋の経験を持たない僕の言葉は余りにも軽かった。

兄「まあもうあと何週間かで帰れるんだからいいじゃないか。」

弟「そうだけど」

 生活習慣の違う二人が一緒に暮らすというのは確かに地獄だ。その気持ちは痛いほど分かる。これがもし彼が言うように異国の人とであれば地獄の一歩手前で落ち着く。この場合は生活習慣に決定的な隔たりがあっても「これはそもそも文化が違うからだ」と納得でき、お互い分かり合えるように努力をするからだ。しかし同じ国出身となると、不思議なもので納得どころか嫌悪感しか生まれない。中国人の苦学生は立派である。

 僕には彼を納得させる言葉が見つからないので話題を変え、今度の休みに豫園の観光とお土産屋の物色へ行くことになった。他に何を話したかはビールに流され憶えていないが、帰りのタクシーで彼が「日本のラーメンが食べたい」と二度呟いていたことは憶えている。僕や特に父はそうだが、どんなに美味い日本食を食べても一番恋しくなるのは九州のとんこつラーメンなのだ。

 

 休日の前日、集合場所を南京東路にしようと電話で約束をした。彼の声がいつもより明るい。どことなく声色に自信を感じられた。彼は一人で買い物に行き、店員と基礎的な会話のキャッチボールをしたらしい。どんな話をしたのかと聞いてみると、「味見させろ」を実践したと言う。それは基礎なのかと思うところはあったが、兄より語学を学ぶ姿勢はちゃんとしている。

 当日、集合場所で落ち合い三輪バイクで豫園まで行く事にした。南京東路の駅前ではタクシーの総数をはるかに凌ぐ大量の三輪バイクが乗客を手招いている。車より速く移動できる大変便利な乗り物である。欠点は最初に値段交渉をする必要があるのと、安全性の問題が深刻なことくらいだろうか。乗客はバイクの後ろにプレハブをくっ付けただけの代物に尻を落とすことになる。形容としては恐らく教会にある懺悔室が一番近い。運転手に背を向けて座り、目の前に映るは見渡す限りの後続車だ。一応懺悔室にカーテンがついているタイプもあるが、顔など隠す必要がないのであってもなくてもどちらでもよい。弟に三輪バイクはまだ早いかとは思ったが、まあこれも経験である。

 道路に放り出される可能性を十分に警戒しながら豫園までたどり着いた。道中彼は初めて乗った懺悔室型ジェットコースターに大はしゃぎしながら写真を撮り続けていた。運転手に運賃を払おうとしたところ、運転手が「これは一人分だ」と言って弟に追加の金を払えと要求してきた。どこまでもがめつい国である。だが相手を間違ったようだな!こっちは中国歴五年目を迎え、そして弟の前で情けない姿など見せられない僕が受けて立つのだからな!

僕「何を言っているんだ!乗る前に値段を確かめたじゃないか!」

運転手「だが二人分だとはいっていない」運転手がニヤリとする。

 ほーう。そうきたか。確かにバイク類はタクシーとは違い人数で計算をする。そのため何人乗ったかで値段を決めるといういまいち道理が分からない方法を採用しているのだ。確かに事前に提示された運賃が二人分かは確認し忘れていた。最初に運転手が言った値段が二人分で妥当だったからである。だがその程度で引くわけには行かない。

僕「なにーーー?俺は毎回これに乗って豫園に来ている!今日はいつもより一元高いが、急いでいたからお前が運転するこれに乗ったんだ!」

 嘘である。三輪バイクに乗って豫園へ行くのは初めてだ。

運転手「・・・おまえは払ったからいいんだ、彼は払っていないから・・・」そう言って弟を指さす。

 なんなのだ?その言い分は。こいつ、弟のはしゃぎ振りから僕らがただの観光客だと思っていたな。

僕「彼は俺の弟だ。だから金は全部俺が払う。しかし不当な値段の運賃だけは絶対に払わない。」

 長期戦になってもかまわないという意思表示で、鞄を地面に置き腕組みをする。

運転手「・・・」

僕「・・・」

運転手「わかった、わかった。もういいよ。」

 運転手は走り去っていった。万博を一年後に控えてもこのがめつさ、ほとほと呆れた奴らである。

 少し分が悪かったが、何とかこの場を凌げた。兄の威厳が保たれたことにホッとする。やりとりの最中何も言えなかった弟は今になって興奮気味である。その興奮に応える情熱が僕にはもう無かったので、「さあ早く行こう」と今の出来事は無かったかのように振る舞いつつ、目的地まで彼をエスコートした。中国には良いところも多いが、こういう面倒なことも度々起きるのだ。

 

弟が来る・下に続く

 text= 西本皆文堂
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